2016-12-10
衝動、感動、夢、現在、未来。
あまりこのブログでは現実的な話をしてこなかったように思われますが。
12月2日、9日と2週連続でTBSの深夜番組に出させていただきました。
少し前の私、
いろいろあって完全なる引きこもりだったわけです。
(現在も似たり寄ったりですが)
長いこと眠り、長いこと壁を眺める生活をしていました。
大好きなドラマ、
『愛していると言ってくれ』を全話一気に見て、
その様子が放映されました。
なんという非現実的。
まぎれもなく、あれは現実の私なのだけど。
なんだかそれがテレビにて紹介される事案となるとは、
不思議な気分でした。
テレビに映る自分を見、あーこんな風になるのか、と学んだ。
想像よりましで、理想には届かずといったところか。
しかし今回、ひきこもりだしワケアリな立場での出演だったので、
いろいろと試行錯誤し、
スタジオ収録やら自宅1日密着やらに臨んだわけなのです。
それが世の中にどう認知されどう処理されていくのか。
きっと人々の記憶からはあっという間に消え去るのだろうと思いますが。
Twitterで番組名からリサーチしてみたりしましたが、
なかなか反応があるものなんですね。
みんな、一人でテレビ見ながら、Twitterに突っ込みを述べている。
まだその時代からはあまり動いていないのだな、と感じました。
彼の芦田宏直さんが毎年やっている『リアルタイム紅白歌合戦採点中継ツイート』も
まだまだいけるな、とも。
実はTwitterで見かけたコメントの中には私を心配するものや、
軽蔑するもの、同意や共感をするもの等、様々ありました。
全部ひっくるめて、面白いなと思えた。
突っ込まれる対象ぐらいにはなれるものなのだなと。
ご心配をおかけした人には申し訳ない気持ちも沸きました。
私は自分の近辺の人にも迷惑をかけ、挙句の果てにはテレビを介し、
その先の人たちにまで心配をかけている。
人の心はこうもセンシティブに、他人を心配できるのだなと改めて感じ、
人間を諦めてはいけないな、などと思いました。
それと同時に人間を諦めようとしていた自分にも気が付いた。
変な話ですね。
深夜番組を眺める人間のプールのようなところに、
僅かながらお賽銭の如くコインを投げ入れ、
そこから波が少しだけ立つ様子を眺めるのは、
まるでライブハウスで私が歌うとき、
聴衆の瞳がキラリとする瞬間のように思えた。
そういう意味で、テレビに出て何かするということ、
何かしゃべるということはとても…(この表現でいいのか迷いがあるが)
心地のいいものでした。
川辺から、丸くなった石を投げ続けたあの日の風景が思い浮かんだ。
きっと私はそんな風に生きていくのだろうと思う。
飽きることなく。
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