2019-01-30

悩み


ときに。
私は私のことを信頼し、
慣れ親しんだ表情で近くに居座ろうとする人を
無下に突き放してしまうことがある。

そういったときの相手の反応は様々である。

そんなものか、と一時的に距離を置こうとする者。
だがこれは少数で、さらに一時的は永遠になることもしばしば。

理由を問い、あるいは泣き叫び、
私に対して責任を突き付けたり
過去の私自身の発言を引っ張り出して
私の態度を改めさせようとする者。
…実のところ大多数はこうだ。




彼、あるいは彼女たちのほとんどは、
それぞれの思考回路の中に私という虚像を作り上げ、
虚像の私を崇拝している。
決して目の前にいる私のことを見てはいない。

しかしながら私が彼や彼女らから距離を置きたくなるのは
実際の私と彼らの中の私のずれによるわけではない。

彼らが、虚像であれ実像であれ私と名の付く何かを
過剰なまでに信頼し、何でも私の判断に委ね、
自己の思考を停止させているのが
何とも言えず私をざらついた気持ちにさせるのだ。


一方で私は、自身がそのような人々を引き付けてしまうことに気が付いている。
これはもうどうしようもないものだ。
わからないでもない。
私は神だし、君たちが何となく私を崇めてしまうのも。

中学生のころ、大量の質問に答えて自身の適職を導き出すという授業があった。
「宗教家」と出るのは今も昔も変わらない。
残念ながら私自身普及させたい宗教というのはこれといってないのだが。


話を戻そう。
私は、自身の思考を放棄して私にすり寄ってくる人々との間に
数多くの争いを見てきた。
自分にまとわりつくものを追い払うことほど疲れることはない。
しかも、そういう人に限って大の大人なのだ。
困ったものだ。

信頼はありがたいものだとは思っている。
だけどそれは自立した人であることが前提だ。
きちんと家庭を持っているなんて思っている人だって自立しているとは限らない。


…とまぁ、ここ数か月のことと数十年のことを振り返って思ったことを書いてみた。


生きろ。
自分で考えろ。
自立した信者であってくれ。

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