2015-11-07
ようするにそういいつづけて…
ようするに…というタイトルだが、このブログは全く『ようするに』なんて軽く何かを説明しようとしていない。
ようしてない。
よ う す る に そ う い う こ と で す
電脳の森の文字領域からこんばんは。
のんびりマイペースに綴り続いている当ブログ。
いつも何気なくご覧いただきありがとうございます。
(そんな人がたとえ多くはいなくても、ありがとう。)
気づけば初回の記事から4年以上がたった。
しかしながら書いた記事は驚くほど少なく…
この投稿で131記事目だ。
突如このような振り返りを書いているのには理由がある。
実は先日ついにアクセス数が10000を越えたのだ。
1万。
4年続いているブログで1万のアクセスをいただくということ。
誰も彼もがブログを持つことができる時代。
私がインターネットを知った当初よりも遙かに多くの人々が
インターネットに接続可能な環境を持っている昨今にしては
きっとこれはたいした偉業でもなんでもない。
むしろそれは恥ずべきことなのでは?
という人もいるかもしれない。
それでも私がわざわざこのことを記事に書くに至った感覚。
完成する予定も特になく、春夏秋冬問わず気が向いたときに編んでいたマフラーが
気づいたときにはわりと長くなっていた…
そしてそれを誰かに自慢したくなった。
というような感じ。
そして私がこうして思うがままに書いたり貼ったりした何気ない世界が
1万回以上も誰かの頭の中で紐解かれたと考えたとき、
なんとなくそれは凄いことのように思えた。
誰かの思考回路にこの文字が染み込んだ可能性を考え、
その先に起こった何かがあるのかもしれないという微かな期待にわくわくした。
これは若干気持ち悪いかもしれない。
これからもこのpart 8はしばらくは続く。
まだやめる気はないですし、今のところ一度もやめたいと思っていない。
以前のブログは4,5年続いていて何度かやめたいと思うことがあった。
そのたびにやり過ごしていた。
でも突然、すべて捨ててしまった。
このブログでは続けられるテンションを保っている。
きっとこの先も、誰によろしくということもなく書き続けるでしょう。
――――― いつも会う猫。今朝の様子。
新しいスケジュール帳を買った。―――――
スケジュール帳とはいえ、最初の10数ページが見開きで月間の升目でのカレンダーとなっているのみ。
後の頁はメモ帳のような感じだ。
表紙のどこを見ても2016の文字はない。
これでいいのだ。
世にはびこるさまざまなスケジュール帳を眺めた結果、これが一番しっくりきた。
私はどちらかといえば文房具に煩い方だと思う。
スケジュール帳にも実はいくつかこだわりたいポイントがあった。
・薄いこと。
・あまり仰々しくなく軽いこと。
・1ページに1週間分の配分で各一日一日の記入欄があるものなら、月間の予定が写真の下図のように一覧で見れる頁のあとに各月ごとにその頁を設けて欲しいということ。
実はこれを満たしているスケジュール帳はほぼない。
月間のスケジュールが1月から翌年の1月まであり、そのあとから週間区切りの頁が始まるタイプがほとんど。
・既に過ぎ去った日の頁の角に、切り取れるミシン目が付いていること。
これもほぼない。
海外殻来たブランドのものには多い。
きちんと上なり下の角がミシン目で切り取れるようになっているものがいい。
日本のものはほとんど各月でインデックスにしてしまっている。
スケジュール帳のインデックスは往々にして虹色。シンプルさに欠ける。
虹色でないものもないとは言わないが、何故か表紙が分厚いなど、私の求めるポイントとのバランスが悪い。
インデックスは自分の認識の中で区切りをつけるものであって、勝手に月ごとについているべきではないと私は思う。
こうして書き始めるときりがないほどに求めることがあったのだが、今回購入したスケジュール帳はそもそもその次元で考えなかった。
各月の予定が書けること、あとは自分が思いついた彼是を書くためのスペースがあればそれでいいと思った。
こだわっているのかこだわっていないのかで言えば、こだわってはいるだろうけど
自分の理想にあわせて探すのをやめた結果こだわらせる何かを持ったものに出会ったような感触。
他人はものを買うとき、何を求めて買うのだろうか。
ふと気になった。
もう終わりそうな秋の空。
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