人と関わるとき
本人から提示されたパーツや
他人から渡された思わぬパーツたちを
沢山持つことになる。
でもどれだけそのパーツを集めたって
その人のことを私は何も知らない。
わかっている、君ってそういうやつだ。
なんてどこかで線を引いたり
ハコに収めて頭の中で分類したくはない。
知った気になっている間にも
その人は変わっていく。
今この瞬間
この場所で
この食べ物を食べて
あの歌を聴いたとき
その人が思う感想があったとして
それは紛れもない事実だけど
永遠にそこにあり続けるわけではない。
君ってそういうやつだよね。
ってまるで血液型で人を分けるみたいに
その人の顔かたち名前で分けることは出来ない。
顔もかたちも名前も変わりうるし
中身なんてもっとデリケートに変わる。
だって自分のことだって
どんなヤツなのかイマイチわからない。
嫌いだとか敵だとか
常識的に考えておかしいだとか
そういう感覚は
自分の中にある線引きや垣根が
水の流れを塞き止めて
行き場を失った勢いが溢れているようなことに思える。
何かをするときに
何かを考えるときに
正しさを求める必要もないと思う。
その正しさも儚い夢みたいに思う。
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