2020-12-27

空に飲まれる。

先に言っておくけど
この文章に気の利いたオチはないです。
少なくとも今の段階では考えてない。

 

 

 

 

 

「失ってはじめてその大切さに気が付きました」
っていう言葉を使う人は
わりとたくさんいる気がするけど
失ってはじめて
これは捨て去るべきだだったってことに気付く
ってこともある。

 

 

 

 

 

2020年、
私たちはぼんやりと春を過ごしている途中で
静かに、急に、現れたウイルスによって
ごく当たり前の何気ない生活を失った。

 

失ったとはいえ、生活というのは
舞い降りるテトリミノのようにとめどないもので
何気なく自然に、
時に不都合な隙間を生みながら
我々は時を重ね
徐々に加速するウイルスの生きざまに合わせて
ちょっとずつ何かを消去しながら
ここまでやってきた。

 

 

 

 

 

私は2020年(もまた)
いろんな人たちとすったもんだしながら
ダルマ落としのようなことをして
自分の立っている世界の構造を
いじっていたように思う。

 

普通の人たちがテトリスのような人生を送っている
一方で、
私はたぶん今までずっとダルマ落としをしている。
でもまぁこれはあまり人にはお勧めできない。

 

イメージ的には一番上のダルマが自分なのだけど
下の積み木をいきなりスコーンと抜いて降下する
というのは
なかなかに心臓によくない。
でも私はなんかそういう風にしちゃいがち。
よく脳震盪にならないでいられるな。
いや、なってるか。

 

 

 

 

 

今ふと思い出したのだけど
長崎にいたとき、
お正月にはおばあちゃんの家で
鬼火炊きという恒例行事が行われていた。
たぶん正月に寄ってきた悪霊的なものを
燃やして追い払う
みたいなことなんだろうと思う。

 

そういうイベントって
ただ大人たちがやってるものだったから、
説明はなかったけど。
そういうことだろうと思う。
空気的に
そういうのを燃やしてる感じの火だった。

 

何が言いたいかというと
今私の脳内で個人的な鬼火炊きが行われていて
自分でスコーンと抜いてきた積み木を燃やしてる。

 

さっさと灰になってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこで何をしていても
見る人の数以上に
宇宙が広がっていくような感じだなと思う。

 

それは生きているだけでそうで。

 

私は私の宇宙の中で
延々漂流を繰り返しているだけだということを
感じるというか。

 

何をしても
何もしなくても
ただ息をしているだけで
確かにそこにあるような別の宇宙からすれば
それは粉々になるまで批判すべきものにもなるし
神とあがめられるものにもなるみたいな。

 
 

 

 

 

今比較的冷静なので
深呼吸しながら
こんなこと書いていられるんだけど
他の宇宙から何の告知もなく批判されると
私の宇宙も比較的大きく揺れるんだけどね。

 

あぁでもなんていうか
無暗やたらに他人を批判する人たちを
非難するのもなんか違うかなって思っています。
みんな勝手にしたらいいんだと思う。

 

私は私で自分の宇宙の酸素濃度とか重力とかを
いろいろいじって遊びながら
心臓の横くらいで毎日火を守っていく気がします。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

追いかけられると逃げたくなるのに
追いかけてしまう。
息もできない。
空に飲まれる。
 

 

 

 

 


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